デリヘルからちょんの間までロマンの風俗旅

松本雷太のニッポン風俗総研

裏風俗

デッドエンド ストリートガール【立ちんぼ】

投稿日:

風俗が、「神代の昔からある職業」と言われる所以、それこそが〝立ちんぼ〟の存在である。
資本はその身ひとつ。お金のため、行きずりの男に抱かれると腹をくくったら、盛り場の路地に立ち、スケベそうな男たちに物欲しげな視線を投げ掛けるだけ。セックスをするホテル代はもちろん客に出させる。他に必要なものがあるとすれば、胸を寄せて上げるブラくらいなものだ。

立ちんぼとは、いわゆる『街娼』のこと。路地に立って直接客に声をかけ、セックスを商売にする風俗である。
ルールのある風俗店ではないため、時間や内容は無制限。気に入った客とひと晩一緒にいようが、10分で出ようが、フェラで抜こうが中出しさせようが、自分と客に文句がなければそれでかまわない。
雨風がひどい晩には〝出勤〟しなくても誰にも怒られない。まさに、自由気ままな商売である。

しかし、現実には彼女たちにも生活があり、家族を養っている女性も少なくない。毎晩コンスタントに同じ場所に立つことによって顧客を確保し、数をこなすためには回転をこなす必要がある。
ちなみに記者が経験した立ちんぼとの再短時間は、錦糸町の南米系と1万5000円で正味20分であった(泣)。

何の許可もスキルも必要ない自由な職業なので、人種も様々。2000年代初頭には、南米や東欧と思われる金髪の白人女性が非常に多く、中国や東南アジア系がそれに次いだ。
しかし現在、白人はほとんど見られず、逆に増えているのが20代〜40代の日本人女性だ。池袋駅北口付近や歌舞伎町のハイジア周辺、大阪の梅田地下街にある『泉の広場』には、援交目的で立つ女のコが目立つ。
援交と言っても、お小遣い欲しさのJKではないので、そのまま彼女たちの生活費となる。厳密には、援交と立ちんぼは区別すべきかもしれないが、内容は違わない。

彼女たちの営業区域は、10年前に比べると非常に限られてきている。過去には東京の池袋北口や新大久保を始めとして、鴬谷、錦糸町、千葉の松戸、横浜の末吉町、名古屋の納屋橋、大阪の天王寺、京橋、広島の金山町、博多の春吉と、立ちんぼが集まる場所は少なくなかった。
しかし、あまりに人数が増えすぎたのか取り締まりが強化され、壊滅もしくは激減して現在に至る。

ところが最近、毎晩のように美女が立つ街として復活しているのが、旧ちょんの間街で有名な横浜黄金町の隣にある末吉町だ。2004年にちょんの間が摘発されるとほぼ同時に立ちんぼの摘発も行われ、オカマをのぞいてほぼ壊滅していた。

昨年来、夜の末吉町を歩いてみると、オカマちゃんに混じって、本物(と思われる)の女のコが複数路地に立っている。総数約20人。自称台湾人から中国語、韓国語を話す女性、国籍不明の白人と、人種も多様だ。女のコを遠巻きに見ている客と思われる男性もいて、これ以上増えると当局もだまっちゃいないのではなかろうか。

その逆に、一時は戻ったものの、再び衰退しているのが、名古屋の納屋橋だ。
「最も多い時期には200人はいた」(地元タクシー運転手)と言われるラブホ街には、5年程前には数人のグラマラスな金髪白人が戻っていたが、昨年春に訪れた時には皆無。「今は週末でもほとんど見ない」(同運ちゃん)と言う。

「彼女たちは地回りに決められた営業区域があって、みかじめ料もとられているんです。だから、上がりとみかじめ料のバランス次第では、別の場所や別の業種に移ることもあるでしょう。日本人ならいろいろな手段があるけど、外人の場合、それも限定的です」(名古屋の風俗ライター)

自由で刹那的と思われる職業ですら様々な制約に縛られ、とても〝自由〟とは言いがたい現実がそこにある。立ちんぼが復活しない理由は、取り締まりの強化以外に、その辺の事情があるのかもしれない。

▼2001年、ちょうど9.11の夜の新大久保。パッコン通りの最盛期

▼2005年、大阪天王寺の駅出口に立つ中国人。

▼2010年、池袋北口公衆トイレ前

▼同じく2010年、歌舞伎町ハイジア裏で、客と思しきオタク系が座り込む

▼そして現在2017年、池袋西口公園。深夜に街灯の下で読書していたり、駅出口付近で座り込みながら待つ女性が目立つ。この夜、太った女のコに労務者風の男が声をかけ、びっくりガード付近のラブホにしけ込んでいった

dav

-裏風俗

Copyright© 松本雷太のニッポン風俗総研 , 2018 All Rights Reserved.