デリヘルからちょんの間までロマンの風俗旅

松本雷太のニッポン風俗総研

風俗

平成の風俗史【摘発〜デリヘル】

更新日:

 

20代、30代の読者諸氏は知らない人もいるだろうが、かつて、歌舞伎町や池袋、渋谷には、店舗型風俗店が軒を連ねる時代があった。ファッションヘルスや性感ヘルス、イメクラなどのいわゆる「箱ヘル」時代である。その終わりの始まりとなったのが、小泉政権及び石原都政下の2004年だった。

無届けの闇営業ながら、売春や暴力事件など、大きなトラブルも起こさず営業していた箱ヘルが、「歌舞伎町浄化作戦」の名の下、軒並み摘発されたのだ。
そしてその波は新宿のみに収まらず、池袋、新大久保、さらには日本全国に広がって行った。
そして、偶然か必然か、横浜・黄金町のちょんの間も、同じ時期に摘発されている。

それまで、歓楽街に行けばそこにあった風俗店のネオンが、徐々に間引かれ、次第にテナントは白看板だらけになっていった。
風俗店経営者の中には廃業する者も出たが、その多くはデリヘルへと転業した。かくして、都内の歓楽街から都知事の思惑通り風俗店の看板は消えた。しかし、歓楽街から風俗店が無くなったのではなく、見えなくなっただけ。しかも、従来の箱ヘル以上に急増しているのだった。

ちなみに、多くの人がカン違いしているが、デリヘルや店舗型ヘルス、ソープランドなど、日本には、いかなる風俗店も〝許可店〟は存在しない。つまり、行政は風俗店に対し、〝営業許可〟は与えていないのだ。
いわゆる「許可店」と称する風俗店は、「届け出済み店」である。
なぜ、行政は許可を与えないか、その理由は、許可を与えればむやみに閉店させることはできなくなる。届け出を受理しただけなら、目障りになればすぐに削除できるというのがその理由なのだ。

店舗を持たないため出店しやすいデリヘルは、都内だけでも毎年200軒以上の店舗が新規出店するようになった。それは、多くの女性の雇用を生む代わりに、熾烈な競争風俗時代の幕開けとなった。
おりしも、経済は長く続く不況とデフレの時代。急増したデリヘルは過当競争に入り、サービスの過激化や価格の崩壊、そして、裏引きに裏オプ、本●という個人サービスで客を呼ぶという最後の手段に頼らざるを得なくなっていた。

「確かにデリヘル時代になってから、それまでは新宿や池袋まで行かないと箱ヘルはなかったけど、地元の駅にもデリヘルができて便利にはなりましたよ。それに、ラブホは2人だけの密室なんで、本●させてくれるコも格段に増えたしね」

実話誌編集者の川上氏(仮名)はそう語る。

「でも、店舗型ヘルス時代は、女のコは必ず待合室から部屋まで手を繋いでくれたり、シャワーのあとバスタオルで身体を拭いてくれたけど、デリヘルになってからは、本●はさせてくれても、タオルで体を拭いてくれたことはほとんどなくなったよね。中国エステのが拭いてくれるところ多いんじゃない?(笑)」(同氏)

日本風俗は、かつて標榜し、アイディアを産む元になった、「挿入なき風俗」とは違う方向へといつか進み始めているような気がしてならないのだが。

つづく…。

 

-風俗

Copyright© 松本雷太のニッポン風俗総研 , 2018 All Rights Reserved.