裏風俗

【赤線青線】Which Do You Like?

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風俗の通称で「赤線」「青線」という言葉がある。聞いたことはあるが漠然としていて、何が赤線で何が青線なのかは分からないという人は少なくないだろう。

 詳しくはWIKIなんとかを見ていただくとして、簡単に言うと、赤線は戦後から売春防止法(以下売防法)が施行される昭和33年までの間に設置されていた政府公認の売春街のこと。昭和32年の調査では全国に789ヶ所あったとされている。

それに対し青線は、赤線地帯周辺に付随するように発生していった未公認の売春街のこと。当時の警察が、取り締まりのため地図上に、公認の地域を赤エンピツで、未公認の地域を青エンピツで囲っていたためそう呼ばれたという。

赤線街は現在も風俗街として残っているところもあり、どういう雰囲気の街なのかは、前回の飛田新地の項目を読んでいただければわかるだろう。問題は青線である。

 そこで今回は、戦後からアングラな風俗街として認知されてきた青線街の行方を追ってみよう。

 新宿の歌舞伎町は知ってるが、「ゴールデン街」がどこにあるかは知らない人も少なくない。実はその街こそ、最も有名な元青線街なのだ。(冒頭写真)

江戸時代、現新宿1丁目~3丁目に「内藤新宿」と呼ばれる宿場町ができ、戦後までそこに赤線街が形成されていた。しかし、売防法施行によって赤線が縮小すると、客足は当時、戦後の復興事業によって賑やかになりつつあった現歌舞伎町方面へと向かうようになった。

その影で形成された闇市から発展した飲み屋街が、歌舞伎町の東の端っこにくっついているゴールデン街の始まりだ。

狭い通路を挟んでカウンターのみの小さなスナックがびっしりと並ぶ様は、いかにも怪し気。一階で飲んで二階の小部屋で遊ぶのが青線のシステムである。もちろん、現在は青線営業はしていないが、スナック街はそのままの姿で残り、現在は作家や演劇、音楽関係者たちのたまり場となっていることは有名だ。

大阪五大新地の影に隠れるように、隣の兵庫県尼崎市に存在する「かんなみ街」も元青線街のひとつだ。こちらはゴールデン街とはまったく逆で、現在は、飲食はできず、青線営業だけが残された形になっている。

昼間見ると貧相なアパートというか二階建てのボロ長屋が、夜になるとピンクのネオンも眩しく輝くちょんの間へと大変身するのだ。

女のコは若くてかわいいコが多く、顔見せで選べて20分1万円とお手頃。ヤリ部屋は、新宿ゴールデン街と同様に、ハシゴのように急な階段を登った二階にある小部屋。大阪の新地と比べてコスパが高く、人気の現役青線街である。

古都金沢を代表する風俗といえば、石坂の連れ出しスナックだが、片町交差点近くにある「新天地」もかつての青線スナック街だ。

変形のY字型に伸びる路地には、小さなスナックがズラッと並び、かつてはひとりふたりのポン引きオバちゃんが路地に立っていた。

しかし現在は、街の様相はすっかり変わり、飲み屋以外にもイマドキなカフェやアジアン雑貨などの店が並ぶカワイイ街となっている。そんな中にも、まだ現役の青線スナックが残っているのだ。

薄暗いスナックに入り、カウンターに座ると四十路後半と思しき熟女が、

「初めて? ここはどういう店かご存知?」

なんて聞いてくる。料金は飲み代別で1万円。果たして安いのか、高いのか?

最近まで営業していたものの、惜しくもその歴史を終えた青線街もある。

札幌すすきのの外れにあった「スナック会館」は、戦後、屋台の飲み屋が集まり、そこで女のコの斡旋が行われたのが始まりと言われる。

その後、数軒のスナックが入ったアパートのような二棟の建物に変わり、歩道や通路から店内にいる女のコを顔見せで選んで、隣にあるラブホに連れ出すことができた。ビール程度なら飲める数少ない本物の青線スナックだった。

しかし、人妻中心から若い女のコに入れ替わり、人気が出てきたためか、無念にも摘発されてしまった。裏風俗の少ない札幌だけに、非常に残念な幕切れだった。

かつて、関東最大のちょんの間街だった横浜の「黄金町」も元青線街である。

港町横浜には、親不孝通り付近に戦前から外国人相手のカフェーやバーが並んでいた。国道を挟んだ向こう側には真金町の赤線街があり、売春街としての環境は充分整っていたのだ。

黄金町駅一帯は戦後、バラックの掘建て小屋が建ち並び、窓口に腕だけ突っ込むとヒロポンを打ってくれる店があったり、麻薬の売買が日常的に行われている無法の街であった。

その一角に青線スナックができ、当初は日本人女性だけだったが、次第に台湾人、タイ人、南米人などが流入していった。

最初は酒を出していたであろうスナック風の店は、やがて酒も置かなくなり、もっぱら売春のためだけの街に変わっていった。

そして2005年、「バイバイ作戦」と銘打った大規模摘発により、黄金町のちょんの間街は完全に壊滅されてしまったのだ。その後はアートスタジオなどになっているところもあるが、活気はいまだ感じられない。青線街からの復興の道程はまだまだ遠そうだ。

黄金町と同時期に摘発された町田の「たんぼ」も同様だ。ラブホ街付近の入り組んだ長屋の玄関先に、アジア系の女のコが立つ様子は黄金町の景色と重なる。ただし、女のコのレベルは黄金町に一歩譲っていた。

赤線は遊郭建築の建物などに見るように、ある程度の広さと設備を伴っていたのに対し、青線は小さなスナック程度の店が中心。当時はさらに狭く不衛生なヤリ部屋だったに違いない。

他にも未確認ではあるが、青線ふうのスナック街はまだまだ多い。青森市の第三新興街、盛岡市八幡町のスナック街、栃木県大田原市の親不孝通り、池袋東口の栄町通り、沼津市の上本町などなど。

赤線が700以上もあったように、青線も疑いの目で見ればきりがない。実はそれほど生活に密着したところに、こっそり青線スナックがあったのかもしれない。

よく飲みに行くいつものスナックも、ひょっとしたら……。

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